りゅうちょうのつれづれ日記

にちにち日記

童学寺住職の日常をつづっております。

掃除するのは損?

食欲の秋、運動の秋、芸術の秋・・・そして落ち葉の秋。

お坊さんはほうきを持って掃き掃除や拭き掃除、とにかく掃除をしている姿がよく描かれます。そしてそれは本当の事です。

童学寺にも色んな花木が植わっていますが、秋のはじめ(9月)は、まず桜の落葉から始まります。半分も落ちるとコブシが落ち始め、松が散り、フジが積もります。

朝掃いても昼くらいには散らかっています。

そんな今日この頃、近くのお寺のお坊さん(Aさんとしておきます)が来られたので話をしていました。

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毎朝こんなかんじです

お坊さん同士の会話

A:毎日きれいに掃いてお疲れ様やなあ。ウチも葉っぱいっぱいでたまらんよ。

私:この時期は仕方ないですね。お互い大変ですよね。

A:ほんまやなあ。境内広いのも辛いよね。いつも思うんやけど俺らは損してるよなあ。こんなんする時間があったら他の事ができるのに。木の無い寺がうらやましい。

私:ちなみに掃除しなくてよかったら何するんですか?

A:・・・昼寝かな(笑)

掃除は確かに大変

Aさんがダメそうなお坊さんに見えたかもしれませんが、結構真面目にお坊さんをされている方です。よく勉強もされています。

でもそんな人だから、掃除している時間がもったいないと思ってしまうのかな。

私もこの時期は毎朝できるだけ庭を掃いています。短い日で30分。長ければ1時間。それでもざっとしか掃けません。まだ暑いので汗をかきかきになります。

でも実は気持ちが良い

掃除は良いモンです

Aさんは嫌がってますが、良いモンです。毎日したくなります(本当ですよ)。クセになります!

想像して下さい。

あー、今日も散らかってるなー、と思いながら掃除を始めます。一か所なら10分くらいかかります。ふと見てみると、目の前はすっかりきれいになっています。

「わあ!きれい!」自画自賛ですが、達成感があります。

しかも、掃除している時に人が通れば、「いつもきれいにしてくれてる。えらいねえ。」と褒められます。大人になって褒められることってあまりないですよね?嬉しくなっちゃいます。

お参りに来た人が葉っぱを踏み踏み歩かなくてよい、お参りの人も気持ちよい。人の役に立っています。

達成感があり、褒められて、人の為になる。素晴らしいことじゃないでしょうか?

ストレス発散にも!修行にも!

 そして、ここからが大切なお話です。

お寺では掃除の事を下座行(げざぎょう)と呼んだりします。掃除だけではなく、洗濯や片付け、つまり雑用全般が下座行と言えます。雑用も、大切な修「行」になると言ってるんですね。。ですから嫌々するのは勿体ない。

掃除をするときの心構えは

たとえば、落ち葉を掃く時なんかは、落ち葉=自分の心の迷い、ストレス、欲などに見立てて掃いていきます。つまり境内をきれいにするんじゃなくて、自分の心を清めているつもりで掃きます。嫌なことがあった時も、心から嫌なことを追い出すつもりで掃くのです。掃き掃除じゃなくても応用できます。やってみると想像以上に気持ちが変わるのが分かりますよ。ぜひ試して下さい。

甲子園常連校のトレーニングの話ですが、「おしっこをする時、自分の中の不安や迷いを放出するイメージでしなさい」と言ってるのをテレビで見ました。やはりストレスの軽減につながるそうです。

毎日している人はえらい!

褒められなくても

本文と少しずれますが、私は評価はされなくても、必要な事を繰り返し、毎日している人こそが素晴らしいと思います。

ノーベル賞の山中教授やテニスの大阪なおみ選手、ゾゾタウンの前澤元社長なんかは社会的にすごく評価されます。業績が目立ちますから。

でも毎日掃除して洗濯してご飯作っても褒めてくれない。きっちり経理事務をこなしている人もゴミの回収している人も表彰されたりしません。

「私なんて必要ないのかなあ?」と不安に思っている人も多いと思います。

あなたも素晴らしい

そんなことは勿論ありません。

「ご飯作るのなんて当たり前」「ゴミを回収するのなんて仕事なんだかふつうじゃない?」そうなんです。当たり前でふつうなことで世界はできています。

でも、ふつうの事をしてくれている人がいるから、世の中が成り立っています。お母さんがご飯作ってくれないと困りますよね。気分が乗らなくても作ってくれます。

ふつうな事はありがたいのです。そう思って周りを見てください。

 周りにはありがたい人だらけです。

自分の事もそんな風に見てください。一体どれだけの人を支えているでしょうか。

あなたは本当に必要な存在なんです。