おうちはどこにあるの?
少年の疑問
ある日の日記
お坊さんが家にやってきて、お仏壇に向かって拝んでくれました。おばあちゃんに聞くと、「お位牌におじいちゃんの魂が入っている」んだって。お仏壇がおうちなんだね。
その後、お墓に行きました。ここでもお坊さんが拝んでくれました。お父さんは、「ここにはおじいちゃんやご先祖様が眠っているんだよ」と言っていました。
おかしいなあ。お墓は寝室なのかもしれない。
少年の疑問は
上の文は法事の日に書いた、学校に出した日記です。次の法事の時、見せてくれました。五重〇が付いていて、先生がコメントで「不思議だね。お家の人に聞いて、分からなかったらお坊さんに聞いてみるのも良いですね!」と書いています。
余計な事を・・・子供に説明するのは難しい。先生を恨みました。
どうやらお父さんに聞いてみたら、「お墓もご先祖様が居るんだよ」と言ったらしく、じゃあ位牌に魂があるっていうのは間違っているのか?という話になったみたいです。おばあちゃんも答えれなくて、結局お坊さんに聞く!という事になったようです。
「死んだおじいちゃんのおうちはどこなの?」萌えますね!かわいらしい聞き方です。
頑張って説明してみます!
・・・大変でした。話がそれたり、言葉の説明をしながらですが、30分くらいで納得してもらえました。周りの大人も喜んでくれました。
魂はどこにあるのか
法事の時は遠回りで説明しましたが、短くまとめてみました。
人は二度死ぬ
昔から人の死には2つの段階があると言われています。
1度目の死は、肉体の活動が終わった時、ふつうに「死んだ」時の事です。
2度目の死は、その人の事を覚えている人が誰もいなくなった時です。誰の記憶にもとどまらない時、これが本当の「死」と言われています。
お大師様は生きている?
ちょっと真言宗の話をはさみますが、高野山の奥の院では、お大師様(弘法大師)は生きているという信仰があります。
平安時代の人が生きているわけがない!とお思いでしょうが、肉体は活動を止めていますが、お大師様の教えや言葉は受け継がれています。今でも、お大師様の教えに助けられた、お大師様の言葉を基に活動して成功した、という人が後を絶ちません。強い影響力を持っています。
お大師様は2度目の死を迎えてなくて、今も生きていると言えるでしょう。
魂のゆくえ
魂はお位牌の中に
仏教では戒名をもらって、お位牌を作っておまつりします。法事の時も、このお位牌を亡くなった方の代わりに拝みます。つまり、お位牌の中に魂が込められているのです。
お墓の中にも?
それから、お墓に行って供養します。なぜなら、お墓の中にも魂が込められているからです。
・・・どっちが本当なの?そう思うのが当然ですね。答えは「どちらも本当」です。
心の中に
昔から死んだら魂はどこに行くのか?というのは気にする人がいたのでしょう。
お大師様は「仏様は遠い場所にいません。私たちの心のなかにいます。」と言っています。
私達の心の中が「おうち」なんです。じゃあ、お位牌やお墓はいらないと思うかもしれません。すごく、心がしっかりしていれば、無くても良いかもしれません。
しかし、私たちは、何か形があるものがなければ、分かりにくくて供養する事ができません。お位牌やお墓は舞台装置で、あったらその気にさせてくれます。よく分からなくても手を合わせてみますよね?
反対に、何もない所で突然手を合わせると、なんだか変です。しっくりきません。
お位牌に手を合わせたときはお位牌の中に、お墓に手を合わせたときはお墓の中に魂があります。両方とも、間違っていないのです。
法事の時は
法事には親戚が多く集まったり、普段会えない人が居たりして、近況を話したりして過ごすことが多いと思います。
でも、せっかくの法事なんです。主役は亡くなったおじいちゃん(たとえです)です。おじいちゃんの話を少しでもしてあげてください。おじいちゃんがこんなことしたとか、表彰されたとか、器用だった。とかでも良いですし、なんでしたらいつも口うるさくて嫌だった。とか悪口でも供養になります。
特に、幼かったから覚えてないっていう子なんかには教えてあげてください。
おじいちゃんは怖かったんだなあ、と覚えてもらえれば幸いです。
忘れ去らなければ、皆さんの心の中に生き続けています。