不幸な人といると不幸がうつる
仏教ではハスの花を使った例え話が多く有ります。
ハスは泥の中に根を張っていますが、水面に現れた花は美しく汚れが有りません。
これは私たちがどんな状況でも侵されることのない清浄で強固なもの(仏性)を持っていることを表しています。
これとは反対に周りの人の影響をずいぶんと受けるのが幸福度なんです。
ハーバード大学が30年にわたり追跡調査した研究によると、家族や友人が幸せな人は自分の幸福度が15%高くなるそうです。すごいことに、友達のそのまた友達が幸せだとしても幸福度が6%高くなるというのです。凄いですよね。
逆もまた同じで、不幸な人といると不幸を感じる頻度が増えるようです。
確かに不幸そうな人といると気が滅入ります。幸せそうな人と居ると楽しくなってきますね。
原因は言葉
不幸を考えよう
では不幸そうな人ってどんな人でしょうか?
よくケガをする人?
よくお金を落とす人?
よくだまされる人?
どれでもないのではないでしょうか?
私の知人によく車で事故にあう人がいますが、「なぜか事故するんよね。でもケガしたことがないから運が良いよ。」と言っている人がいます。
彼が運が良いか悪いかは別として、彼は幸せそうに見えます。
グチや文句
ずばり!不幸な人とはグチや不満ばかり言っている人なんです。どんな時でも文句を言っている人がいます。
高収入で比較的楽な職場にいても
「給料は良いんだけど、上司が口うるさくって・・・。仕事もおもしろくないし」
家族が健康で毎日暮らしていても
「旦那は太ってるし、人の話なんか聞いてくれない。息子はゲームばっかりで・・・」
おいしい食事をしても
「デザートがおいしくないなあ。せっかく来たのに損しちゃった」
マイナス言葉を使ってしまう人達の事なんです。よくいますよね。
これは物事のマイナス面を特に意識してしまうクセがついてしまっているからです。
物事のマイナス面ばかりを見ていると楽しくありません。周りも不幸にします。
プラス面に目を向けた方が幸せになるのです。
本能なんでしょう
人は悪い情報に敏感に反応し、長い期間覚えている傾向があります。
週刊誌の記事も悲惨な事件をあからさまに書き立てると売り上げが上がるそうですし、ニュースもほんわかしたものより悪事のほうが視聴率が上がります。
これは人間に植え付けられている本能によるものです。
長い人類の歴史で、災害や事故につながる情報をいち早く見つけ出し、また覚えている者が生き残ってきたからなのでしょう。
身近な所では、「鶏肉から変なにおいがする」時に気付かなければ食べてお腹を壊すかもしれません。
運転中「前の車がふらついている」のが分からなければ、事故に巻き込まれるかもしれません。
人間には必要な機能なんです。
一緒にいないこと
不幸そうな人にマイナス言葉を止めてもらおうと思っても難しいです。なぜなら、彼らにとってそれは真実だからです。間違っているのではなく、意識しているポイントが違うだけなんです。
だから解決法は一つだけ。なるべく一緒にいないことです。
言葉を変えよう
自分や家族がマイナス言葉を使ってしまっているのに気付いた場合はなおすことができます。プラスの事を見つけ出し、言葉にするクセを付ければ良いのです。初めは大変ですが、慣れると当たり前になって、口にする言葉が変わります。
コース料理でデザートがおいしくなくても
「メインの料理はおいしかった!初めて来たけどいいお店だね!」
一日仕事をして、「疲れたー」と言いたいときは
「今日も一日よく頑張った!私ってえらい!」
旦那さんが家でごろごろしていても
「こんなに疲れるまで働いてくれているんだなあ。ありがとう」
色々なパターンはありますが、ゲーム感覚でプラス言葉に置き換えて下さい。
だんだん幸せになっていきます。
童学寺にて
家内に「幸せですか?」と時々聞いています。
始めは「ふつう」と言ったので「健康で、食べていく事が出来て、子供も元気で、円満に暮らしている。でも普通?」と言ったら苦笑いで「幸せ」と言うようになりました。
無理やりでも構いません。プラス言葉をたくさん使って暮らして下さい。
その言葉たちが私達を幸せにしてくれます。
お寺のクリスマス
クリスマス=キリスト教→お寺はしてはいけない
と思っている方は多いんじゃないでしょうか?
子供の頃から「クリスマスはどうしてるの?」と聞かれたり、「かわいそうに、クリスマスできないんでしょ?」と同情されたりします。
大きな誤解です。
ちゃんとクリスマスケーキを食べて、サンタさんも来てくれていましたし、今は私がサンタさんです。
おかしい!と思われるかもしれませんが、一般的な方と同じように、イベントを楽しんでるだけなんです。
日本中がキリスト教信者に満ち溢れているわけではありません。キリスト様の誕生を祝う事がメインではないですよね。宗教色を極限まで減らして、遊んでいるのです。
とはいえ、もしお寺の境内のモミの木に、クリスマスツリーの飾りつけや電飾をしたらおかしいですよね。公と私は分けましょう。
お寺ではひっそりと、意味も気にせず「メリークリスマス」と言って楽しんでいます。
まあ、ケーキ食べてチキン食べてるくらいなんです。
サンタさんについて
サンタさんが実在するかどうか?私は実在すると考えています。
なぜなら、私は現役のサンタだからです。トナカイはいませんし、空は飛ばないし、ひげもありません。しかも予算があります。
でも、自分の子供にはプレゼントをそっと・・・リビングに(我が家のサンタはそうなんです)置いておきます。翌朝見つけた子供達には、「サンタさんが来たんだねえ」と言ってあげます。
ねっ?私、サンタですよね?だからサンタさんは世界中にいます。松任谷由実の「恋人がサンタクロース」という歌があります。恋人までサンタさんだと、ますますサンタさんであふれますね。世の中には夢と愛がいっぱいあります。
ちなみに子供が成長して、サンタなんか居ないと言い始めると上記の話をしてあげています。「おまえも成長したなあ。じゃあこれからは、パパと一緒にサンタさんしよう!妹や弟に夢と希望をプレゼント!」と長男を誘っています。
お釈迦様も祝って
12月24日はキリスト様の誕生日ですが、4月8日のお釈迦様の誕生日は無視されています。6月15日の弘法大師様の誕生日も世間では感心が有りません。
バレンタイン・クリスマス・最近ではハロウィン。妬ましいです。仏教で対抗できるのはお盆くらいでしょうか?
お釈迦様の誕生を祝って、お大師様の誕生を記念して法要をしていますが、やはりとっつきにくいですよね。若者も興味を示すアイデアが有れば、教えてください。
お正月は童学寺に来てください
クリスマスはお寺に来てもらっても、何もありません。
でも正月は違います。
今の時代、門松やしめ飾りなんかを自宅でする家が減ってきました。でも、童学寺では大きな門松、要所にしめ飾り、鏡餅などなど、正月の雰囲気を楽しめます。
混雑するほど人は来ませんので、ゆっくりと散策もできます。1日2日は新春の祈願をしていますので、一緒に手を合わせて一年の開運を祈ってください。
気分も引き締まり、良いスタートが切れますよ!
運は良くすることができる
あなたは運が良い?悪い?
周りを見渡してみると、この人いつもついてないなあ、と思う人がいます。
なんだか一緒に居ると、面倒ごとに巻き込まれそうな気がする人。雰囲気も悪いような・・・人。「雨男」とかもこちらに分類できそうですね。
反対に、なんだか分からないけど、いつもうまくいっている人っていませんか?
この人がいると明るくなるような。縁起が良い人です。
皆さんは、自分は運が良いと思いますか?悪いと思いますか?
もし、運が悪いと思っている人は、運をよくする方法があるんです!
運が良いって思っている人も、ますます運を良くすることができます!
「運」って何だろう?
それではここで「運」について考えてみたいと思います。
ヨーロッパの研究で、宝くじについて調査をした結果が残っています。
「自分は運が良いと思っている人」と「自分は運が悪いと思っている人」のどちらの方が宝くじの当選確率が高いのか?という調査です。
どちらの人の当選確率が高いと思いますか?
当たり前なんですが
実はどちらも変わらない、という結果が出ています。
物事は、運が良くても悪くても公平に、そして偶発的に起きているのです。どうやら、運が良い人にだけ、幸運が降り注いでいるわけではなさそうです。
でも、明らかに「運が良い人」はいます。矛盾しているような感じですが、やり方が分かれば、誰でも幸運になることができます。
運が悪い人
反対に「運が悪い」人の事も見てみましょう。
私の周りの人の事を考えてみると、車が故障しやすい人、よくスマホがトラブルを起こす人、変な交友関係を持ってしまう人、が思い出されます。
この人たちは大体こう言っています。
「車運が悪い」「機械運が無い」「人との巡り合わせが悪い」
もちろん実際に悪いものに巡り合うこともあります。
しかし、偶然だけではないのです。運について考える時、この人たちは良い参考資料となります。
ポイントをおさえよう!
実際にどうすればいいのか、3つの重要な目標をあげます。
仲よくしよう!
「運」に関係ないことに見えますが、非常に重要なことです。
自分の苦手なことは、人に任せても良いのです。というよりは、あなた一人で何かするのは限界があります。仲の良い人が多くいれば、その中には本当に多才な人が居るはずです。上の例に出した「スマホがよくトラブルをおこす人」でも、スマホが超詳しい仲良しさんがいれば、トラブルは即解決!更にはトラブルを未然に防ぐ方法を教えてくれるかもしれません。
そうなれば「運が悪い」とは思わないはずです。
会社を興す時でも、色んな人に助けられた人は成功しています。松下幸之助さんなんかでも、運をつかんで成功したと言ってます。更に松下幸之助さんは、「自分で運が悪い」という人は不採用!と思い切ったことも言っていたようです。「運」を大切に考えていたんですね。
興味を持とう!
幸運をつかむ為には、色んなものに注意を払わないといけませんが、特にこの2つは大切です。興味を持って、あなたに必要なら取り込む姿勢が必要です。
①まず、目新しいことに興味を持ってください。。今は時代の変化が激しく、新しいことがどんどん出てきます。正直、私なんかは面倒で取り入れたくないなあと、思ったりします。でも、これではだめなんです。
パソコンは苦手だからといつまでも触れない人は、どうしても仕事の効率が上がりません。Lineは分からないからしない、では不便ですよね。
新しい物を避けると、あなたの中の可能性を閉じてしまいます。それで結局、損をすることになるかもしれません。
もちろん必要ないなら続ける必要はありません。
②次に周りの事をよく見てみてください。
あなたが興味を持たなければ、ただの風景かもしれませんが、宝物が隠されているかもしれません。
ニュートンは、リンゴが落ちるのを見て、興味を持ち万有引力の法則を見つけました。
フェイスブックは、大学の学生名簿をオンラインで作ったら素敵じゃないかと思ったのがきっかけで立ち上げたといいます。
足元を見ているだけでは、チャンスがすぐそばにあっても、気付かない事が多いでしょう。そして言います。「成功するきっかけが無い。ついてないんだよ」と。
話を聞こう!よく見てみよう!そして
上の2つは物事を前に進ねるための物ですが、これはブレーキです。
ようするに、「これ・・・だいじょうぶかな?」と疑って確認しましょうという事です。情報収集は大事です。
車なら、どの車種が良いか?どこで買えばよいか?どう整備すればよいか?
ちゃんとしてると壊れにくいものです。
人なら、あなたが見た感じはどうか?評判はどうか?行動はおかしくないか?
よく観察すれば、人となりが分かりそうなものです。
そして、よく考えてみましょう。
詐欺に引っかかる人は、心のすきを突かれます。でも、冷静に考えるとおかしいことに気付くものです。
運のよい人「変なメールが来て、どうかと思って開く前に検索してみた。あー、詐欺サイトだ。良かった。」
運の悪い人「メールが来てたから開いてみた。なんか感染して変になった。ついてない!」
運とは
宝くじの所で書きましたが「物事は、運が良くても悪くても公平に、そして偶発的に起きている」のです。
良いことも悪いことも同じくらい、みんなに降り注ぎます。だから、良いことをなるべくゲットし、悪いことをできるだけ避けている人を、運が良いという事ができるのです。
運=行動・言動・思考です。
上の3つのポイントを押さえれば、あなたも幸運になれるのです。
一生に一度のお願い
誰にでもある?
神だのみ
誰にでもあると思うのですが、どんな代償を払っても叶えたい、叶わないと困る事があると思います。
例えばこの試合に勝てば甲子園!とか、国家試験に合格したい!とかです。
手術に成功して欲しいとか、無事帰ってきて欲しいとかもあります。
こんな時には、お寺や神社に行って神様仏様にお願いするんじゃないでしょうか?
実は私も一度だけ、とことん頼んだことがあります。それは家内が長男を妊娠していた時でした。
もしかしたら、今、目の前でゴロゴロ横になり、タブレットをいじっている男(もちろん長男)は居なかったかもしれなかったんです。
順調でなかった妊娠
24週から
突然
徳島駅前の産婦人科にかかっていました。初めのうちは、特に問題もなく、出産後の産院の食事が豪華なのを楽しみに通っていました。
ところがある日、検査をしてみると、「破水反応が出ているので早産の危険性が高い」とお医者さんに言われ、救急車で大学病院に搬送されました。
そこで告げられたのは、衝撃的でした。
いつ、生まれてもおかしくない状態で、今は薬でもたせている。いつまでもつか分からない。生まれてきても育つかは分からない。育っても機能的に障害が出るだろうとの事でした。
家内はどの程度理解していたか分かりませんが、取り乱していました。当たり前ですね。特に異常分娩が考えられる人が入る用の4人部屋でしたので、できる事もなく、とりあえず帰宅しました。
帰ってきて、パソコンで調べました。6ヶ月で生まれたらどうなるか。7ヶ月で生まれた場合。どんな治療をするのか?どういう例があるのか。
どーんと体が重くなりました。
何ができるか
しばらく沈んでいたのですが、いくら考えても無駄です。
できる事は何だろうか?すべきことは何だろうか?
とりあえず、毎日励ましに行き、おいしい物でも買っていって、家内の前では明るくしないといけない。雑誌でも暇つぶしにいるかもしれない。
なんせ、絶対安静で寝たきりでトイレにも行けない状態です。しかも、24時間点滴。気の毒としか言えませんが、同室の人は皆そんな感じです。
でも、私には他にできる事がありました。坊主ですので仏様に祈る事です。
本堂で
もう、遅くなっていましたので、真っ暗な本堂に明かりをともし、拝んでいました。
仏様にお願いをするために拝むのを、祈祷(きとう)といいます。その為に、お供えをしたりするのですが、この日はお供え物と共に、別の物を差し出しました。
願掛けと言えば良いのか、断ち物と言えば良いのか、条件付けと言うべきなのか。
「今後の人生で、自分の事をお願いすることはございません。かわりに、無事、長男を出産させて欲しい、他には何も望みません」
そうお伝えして、拝んでいました。
ちょっと昔話
徳川幕府の3代目将軍の家光(いえみつ)が子供の時、体が弱く、生きるか死ぬかの状態の時の事です。家光の乳母であった春日局(かすがのつぼね)は「一生、薬を飲まないかわりに、家光を救ってください」と祈ったそうです。
実際に、年を取って病気になって、死ぬ間際でも「仏様にした約束だから、もし破った場合、家光様に何かバチがあたってはいけない」と言って、どんなにすすめても薬を飲むことを拒んだそうです。
すっきり
2時間ほど拝んだでしょうか?心持ちが軽くなっていました。
実際どうなるのかは、まるでわかりません。拝んでいる最中に、もう生まれてしまっていても、おかしくはないのです。
しかし、寝る時まで連絡はありませんでした。とりあえず、今日は無事だった。
拝んでからは心も体も、妙にすっきりしていたので、ゆっくり眠りにつくことができました。
生まれるまで
翌日から
翌日、病室を訪れました。特に変わりなく、家内はベットで点滴を受けていました。お腹が張っているので、張るのを防ぐ薬を点滴しています。点滴のスピードも最高に近い。薬の影響で暑いと言ってました。
次の日も変わりありません。いつ生まれるか、びくびくしています。
4日目、5日目、6日目、いつの間にか1週間たちました。
お医者さんも「ちょっとでも長く、お腹の中にいてくれたら・・・」と言ってます。
不安定な状態ながら、1月が経ちました。この頃には、「ひょっとして大丈夫?」と思い始めていました。
でも決して、楽観視できる状態ではありません。お医者さんもいつまでもつか?くらいの感じでしたし。
家内は、風呂に入りたい、ヒマで仕方ない、外食したい、点滴が痛い(ずっとだから場所を変えながらしていますが、痛んでくるようです)という事をずっと言ってました。
そんなこんなで36週にさしかかる頃まで生まれる事はありませんでした。
退院
結局、36週で退院することができました。「40週までもてばいいけど、もういつ生まれても良い」とのことでした。
3ヶ月ほど寝たきりだった家内は歩けませんでした。お腹が大きくなったのでバランスがとりにくいのも原因です。それでも、ふらふらしながらもシャワー室に向かいました。「最高に気持ち良い」そうです。よかった。
退院して、食べたい物を聞くと「焼肉」でした。久しぶりに、できたてというか焼き立ての物が食べれて幸せそうです。
逆戻り
その日は早めに寝ました。そして、翌朝の事です。
「おしるしが来た気がする・・・」そう、昨日出てきたのに、もう出産の為、病院に向かいます。
そうして、大変そうでしたが、無事生まれる事が出来ました。2900gと36週の割には大きな方です。40週だと大きすぎたかもしれません。
ちなみに立ち合い出産でした。
親の心は
適切な医療と家内の頑張りで長男は無事生まれました。そして、もちろん仏様のお力もあったものと信じています。本当にありがたいもので、奇跡的なことだと思います。
命がない可能性もあったのですから。
早いもので、長男は中学2年生です。すくすくと成長しています。本当に仏様には感謝しています。ええ、感謝していますとも!
でも、親の心はまた、違いますよね?「這えば立て。立てば進めの親心」と申します。
ついつい、欲が出ます。もうちょっとしっかりして欲しい。この成績どうにかならんかなあ。字が汚すぎる・・・。
仏様には、「無事生まれれば、他には何も望まない」と言いましたが。子供の成長を望む親心は、仏様も笑って許して下さいます・・・よねえ?
忘れたっていいじゃない!
にんげんだもの
自分を振り返りました
私は割といい加減な人間です。もしかしたら、社会的には適合しているとは言い難いかもしれません。
お寺という、やや特殊な環境だから許されているのか、それともお寺という環境が私をこうしてしまったのか、どちらでしょう?
忘れ物が多いのも、スケジュール管理が甘いのも自覚しています。物の整理が下手なのも知っていますし、約束を忘れることもあるなあ。玄関からキッチンに歩く間に、何をしに来たのか忘れることがよくある。
考えていると、いい加減というよりはダメ人間ですなぁ・・・。
ちゃんとしている人がうらやましい
周りを見回してみると、私よりダメ人間はほとんどいません。・・・ごくたまにいます。
仕事をするのを見ていても、下準備をきっちりしてて、ミスがない人もいます。
下準備をしているので、当然忘れ物もありません。したがって慌てることも少ないのではないでしょうか。持ち物も、自分がどこに何を置いてるのか、分かっているので探し回る事もない。いつも冷静にしている。
そういう人に、私はなりたい。(宮沢賢治・雨にも負けずふうに)
いや、違います。なりたかった、ですね。あきらめましたので。
悪いことばかりではない
あきらめたのは、そんな人間に絶対なれない!と思ったからではありません。私には難しいのは事実ですが。
ダメ人間にも良い点はあることに気付いたのです。
まず、忘れ物が有っても、あわてません。いつもの事ですから、代わりの物を探して乗り切ることができます。
次に、多少のトラブルを恐れなくなります。問題があったらその都度対処!と考えているので、新しい物事に挑戦することにためらいが少なくなります。ある程度準備ができたら、やってみます!
最後に、冷静じゃない分、愛嬌ができる気がします。
失敗をごまかすために、よく笑っているからかもしれません。
厳しすぎませんか?世の中
ちゃんとしている人にお願いしたいのですが、あんまり責めないで欲しいのです。
こちらも忘れたくて、忘れているわけじゃない。失敗したくて、失敗しているわけじゃない。申し訳ないとは思うのです。
でも、そんなに怖い顔しなくたって良いし、自分の正しさを主張されてもなあ、と思います。どうにかなったんだから許してね。
もちろん、どうにかならなかった場合は、この限りではありません。多大な損害が発生した場合は、原因を調べて、改善しなければならない、と思うほどには良識があります。
人にやさしく
自分がよく忘れ物をしてしまうので、他人の忘れ物や失敗に優しくなれます。
人が忘れ物をしても、よくよく考えれば自分も忘れ物するから、きつくは言えないなあ。なぐさめてあげようと思えます。
人が失敗した時でも、お互い様!ドンマイッ!一緒にどうにかしよう!私の時もよろしくね!と失敗は他人事ではないのを知っているので責められません。
いい加減なうえに、人には厳しい!では道理が通りませんが、笑って失敗を許し合える世の中であった方が良いと思います。
私と同じく失敗の多い方!大丈夫です!一緒に許し合える世界を作りましょう。
反対にきっちりしている方!お願いします。生あたたかい目で見守ってください。悪気はありません。頑張っています。あなたが、たまーに失敗しても私たちは何も言いませんから。
ちゃんと生きている
単にいい加減なだけだと、迷惑な人になってしまいそうです。
そこで私は
- 人の失敗(やる気がないのはダメですよ?)は責めない
- 自分の失敗は繰り返さない(なるべくです)
- 迷惑かける分、他人に親切にしよう(迷惑をかける相手ではなく、誰にでも)
この3つを心がけています。
すると、いい加減な人→おおらかな人になっているんじゃないかと信じています。
心がけ次第で短所じゃなく、長所になります。
こんな私ですが、ちゃんと生きています。
おうちはどこにあるの?
少年の疑問
ある日の日記
お坊さんが家にやってきて、お仏壇に向かって拝んでくれました。おばあちゃんに聞くと、「お位牌におじいちゃんの魂が入っている」んだって。お仏壇がおうちなんだね。
その後、お墓に行きました。ここでもお坊さんが拝んでくれました。お父さんは、「ここにはおじいちゃんやご先祖様が眠っているんだよ」と言っていました。
おかしいなあ。お墓は寝室なのかもしれない。
少年の疑問は
上の文は法事の日に書いた、学校に出した日記です。次の法事の時、見せてくれました。五重〇が付いていて、先生がコメントで「不思議だね。お家の人に聞いて、分からなかったらお坊さんに聞いてみるのも良いですね!」と書いています。
余計な事を・・・子供に説明するのは難しい。先生を恨みました。
どうやらお父さんに聞いてみたら、「お墓もご先祖様が居るんだよ」と言ったらしく、じゃあ位牌に魂があるっていうのは間違っているのか?という話になったみたいです。おばあちゃんも答えれなくて、結局お坊さんに聞く!という事になったようです。
「死んだおじいちゃんのおうちはどこなの?」萌えますね!かわいらしい聞き方です。
頑張って説明してみます!
・・・大変でした。話がそれたり、言葉の説明をしながらですが、30分くらいで納得してもらえました。周りの大人も喜んでくれました。
魂はどこにあるのか
法事の時は遠回りで説明しましたが、短くまとめてみました。
人は二度死ぬ
昔から人の死には2つの段階があると言われています。
1度目の死は、肉体の活動が終わった時、ふつうに「死んだ」時の事です。
2度目の死は、その人の事を覚えている人が誰もいなくなった時です。誰の記憶にもとどまらない時、これが本当の「死」と言われています。
お大師様は生きている?
ちょっと真言宗の話をはさみますが、高野山の奥の院では、お大師様(弘法大師)は生きているという信仰があります。
平安時代の人が生きているわけがない!とお思いでしょうが、肉体は活動を止めていますが、お大師様の教えや言葉は受け継がれています。今でも、お大師様の教えに助けられた、お大師様の言葉を基に活動して成功した、という人が後を絶ちません。強い影響力を持っています。
お大師様は2度目の死を迎えてなくて、今も生きていると言えるでしょう。
魂のゆくえ
魂はお位牌の中に
仏教では戒名をもらって、お位牌を作っておまつりします。法事の時も、このお位牌を亡くなった方の代わりに拝みます。つまり、お位牌の中に魂が込められているのです。
お墓の中にも?
それから、お墓に行って供養します。なぜなら、お墓の中にも魂が込められているからです。
・・・どっちが本当なの?そう思うのが当然ですね。答えは「どちらも本当」です。
心の中に
昔から死んだら魂はどこに行くのか?というのは気にする人がいたのでしょう。
お大師様は「仏様は遠い場所にいません。私たちの心のなかにいます。」と言っています。
私達の心の中が「おうち」なんです。じゃあ、お位牌やお墓はいらないと思うかもしれません。すごく、心がしっかりしていれば、無くても良いかもしれません。
しかし、私たちは、何か形があるものがなければ、分かりにくくて供養する事ができません。お位牌やお墓は舞台装置で、あったらその気にさせてくれます。よく分からなくても手を合わせてみますよね?
反対に、何もない所で突然手を合わせると、なんだか変です。しっくりきません。
お位牌に手を合わせたときはお位牌の中に、お墓に手を合わせたときはお墓の中に魂があります。両方とも、間違っていないのです。
法事の時は
法事には親戚が多く集まったり、普段会えない人が居たりして、近況を話したりして過ごすことが多いと思います。
でも、せっかくの法事なんです。主役は亡くなったおじいちゃん(たとえです)です。おじいちゃんの話を少しでもしてあげてください。おじいちゃんがこんなことしたとか、表彰されたとか、器用だった。とかでも良いですし、なんでしたらいつも口うるさくて嫌だった。とか悪口でも供養になります。
特に、幼かったから覚えてないっていう子なんかには教えてあげてください。
おじいちゃんは怖かったんだなあ、と覚えてもらえれば幸いです。
忘れ去らなければ、皆さんの心の中に生き続けています。
私にはスタートだったの・・・
このタイトルでピン!ときた方は、よほど歌が好きな方か、50才前後の方でしょう。
J-WALKというグループの「何も言えなくて・・・夏」という歌から頂いています。
昔の歌なんですが、下記のような相談を聞くと、私の頭の中で流れます。
輝く未来が待っていると思っていたのに
時々、人生相談というと大げさですが、話を聞いて欲しくて来る(電話の人もいます)人がいます。
とうぜん、何か悩んでいることが有っての事ですが、割といるのがこんな人。
例えば、「今付き合っている彼氏と結婚したら幸せになれる!と思っていたのに幸せじゃない。」とか、
「広い家に引っ越したら楽しく暮らせる!と思っていたのに家族がぎすぎすしている。」とか、
「良い大学に入ればその先もずっと楽!と思っていたのに入った会社が面白くない!」とかいった感じです。
○○したら(なったら、作ったら)幸せになれる!
本当にこう思ってしまう方は、多いみたいです。でもそんなことありませんよね。
結婚を例にして考えて行きたいと思います。
こんなはずじゃなかった
結婚したら幸せになるって、思っている人は多いと思います。本当にそうでしょうか?ひょっとしたら、結婚式はすごく幸せかもしれません。夢を見ているようです。でも、その後は現実が始まります。
生活をしていると、思い通りにいかないことも多く出てきます。夫に不満も出てきます。なんだか腹が立つ。なんだか不幸かも?
結婚しても幸せにならないのには、あなたにも原因があります。
想像してみてください。
ついに「家族を作って幸せになる」というプロジェクトがスタートしました。今から頑張ってプロジェクトを成功させないといけない。なのに何も考えずにのんびりしすぎると、「こんなはずでは・・・」となっていくわけです。
男の人は夫を妻にして読んでください
じゃあどうすればよいでしょうか?
結婚であれば、まず夫を幸せにすることを考えなければいけません。自分だけ幸せにしてくれっていうのはむしが良すぎますよ。反対に夫を幸せにしてあげれたら、自分が幸せになることは確定します。
目には見えませんが、夫に提供した分が返ってくると考えましょう。「私の方がしてあげてる!」と思う事もあったりします。でも、自分の事は良いように考えてしまいがちだ、というのは忘れないでください。
夫がしてくれていることに気づかないことがあるかもしれません。
いつもお互いに、お互いの事を気遣ってくれている、愛してくれていると信じあえれば愛情のすれ違いはおこりません。
お互いを尊重する
自分が当たり前と思っている事でも、夫には嫌なこともあります。
みんな、育ってきた環境が違うから(♪これは山崎正義さんのセロリが流れます)価値観が違います。卵焼きは甘いのが当たり前だと思って、食べさせると「こんなの食べれない」では喧嘩になりますよね。
正解は
夫:「甘いのはあんまり食べたことないなあ、こんな感じなんやね」
妻:「ごめんね、実家のは甘いんよ。今度はだし巻にしてみるよ」
夫:「甘いのもおいしいね。でも、違うのも作ってくれたら嬉しいなあ」
相手を否定すると、相手が傷つき、反撃を受けて自分も傷つきます。
和を以て貴しとなす
よく、「仲良くするのが素晴らしい」という意味と思われています。でも、これではちょっと足りません。
「よくよく話し合って、お互いの意見を理解し、尊重し合って仲良くするのが良い」くらい思ってください。昔の国家経営と家族経営は同じくらい難しいのです。
仲良くなければ幸せになりにくいですが、仲良いだけでもダメなんです。お互いの考えていることを理解しようとしてください。その為にはもちろん、話し合いましょう。言わなくても分かってくれる、というのは幻想ですよ!
相手の意見も自分の意見も、両方ともまずは正しいものと考えてください。その上で、立場や性別の違い、優先順位を考えて答えを二人で考えてください。
結婚は最終的には、夫婦の価値観の融合です。お互いの意見をすり合わせ、すり合わせ。他の人に言っても、分かってもらえないくらいの二人だけの「常識」が作り出すのが理想だと思います。
結婚以外にも
なかなか自動的に幸せになれません。毎日する行動が積み重なって、幸せにも不幸にもなっていきます。今の自分は、過去の積み重ねなんですね。
お坊さんになりたかったわけではなく
なるような気がしていた
小学生の時から
私は上板町にある大山寺の次男として生まれました。当然、後継ぎは兄だと私も周囲も思っていました。だから、お坊さんになる予定はありませんでした。
ところが、何故でしょうか。説明はできませんがお寺に入るような気がしていました。
お寺に入りたかったわけではありません。祖父や父に言われたわけでもありません。でもお寺で一生居るような気がしていたのです。
友達にも「地元の大学に行った後、お寺にいるんじゃないかなあ?」と小学生の頃から言っていました。
反対に、心の中では普通に会社に勤める人になりたいと思っていました。ですので卒業文集の将来の夢は「サラリーマン」です。夢はかないませんでした。
進路が決まった
その後、地元の大学に入って2年生の頃でした。お正月に親戚のおじさんが酔っぱらいながら「龍澄、お寺継ぐか?」と聞いてきたので「いいよ。」と何も考えず答えて進路が決まりました。驚くほど簡単です。
ところでよく「高野山大学行かんでいいの?」と聞かれますが、行かなくても構いません。
中学校を出てすぐでも、何年か働いた後でも、修行に行けば大丈夫です。高野山大学に行くと密教の授業とかありますので、専門的な勉強をできるのがメリット。高野山大学は高野山の山の中にあるので、娯楽が極端に少ないのがデメリットです。遊びに行くにも山を下りるのが一苦労だそうです。
私の場合は大学卒業後、京都の方に修行に行きました。
導かれて生きている
大なり小なり
誰でも経験があると思います。自分の意思とはあまり関係なく自分の運命が決まっていく事や、どうしようかなあと迷っている時に、人に言われたことが妙にしっくりしたと思えて決めた!なんてことです。
流されたのではありません。仏様に導かれてるんだろうと思っています。
お坊さんなので、仏様という呼び方にしますが、神様でもアラーでもイメージしやすいもので想像してください。「内なる声」なんかも同じでしょう。
「こうしなさい!」と言われるのではなく、仏様のおすすめの道を目の前に示してくれている感じです。もちろん拒否もできます。どんな道を選ぶのも自由なんです。
私のパターン
強く心に刻まれる
これは上に書いたように、「将来はこんなかんじ」と深層心理にしみ込んでいます。
ふつうに就職も選べましたが、そちらを選んだらどうなっていたでしょう?
やたら誘われる
同じ時期にやたら同じことを多方面から誘われたりします。私はだいたいのっかるのですが、珍しく断って後悔しているのに「ゴルフ」があります。色んな人に誘われて、教えてあげるからとか、連れて行ってあげるとか、もうやめたからセットであげると言ってくれているのに、忙しいのを理由にしませんでした。
しっくりきた!
なんだか言われて、納得して、その気になることもありますよね。
書道を習いに行くのを決めた時がそうでした。誰に習えば良いのかまよっていて、「〇〇先生が良いよ」「有名な方を紹介しようか?」色んな人が言ってくれるのですが、決めれません。ところが訪ねて行った先で、書道道具が置いてあり書道の話になりました。「一緒に習わんで?」と誘ってもらって行き始めたのが、今習っている先生です。
ピンっと来たんですよねえ。
素直に受けいれる
運命と言うと大げさすぎます。
いつも目の前に「こうしたらどう?」というような、おすすめの選択肢が用意されています。それは出来事であったり、人からの忠告であったりもします。
素直な心で受け止めると、仏様が勧めてくれていることに気が付きます。時には、やめなさいと伝えていることもあります。そして、それは必ずと言っていいほど自分の為になります。なんと言っても仏様のおっしゃることです。間違いはありません。
掃除するのは損?
食欲の秋、運動の秋、芸術の秋・・・そして落ち葉の秋。
お坊さんはほうきを持って掃き掃除や拭き掃除、とにかく掃除をしている姿がよく描かれます。そしてそれは本当の事です。
童学寺にも色んな花木が植わっていますが、秋のはじめ(9月)は、まず桜の落葉から始まります。半分も落ちるとコブシが落ち始め、松が散り、フジが積もります。
朝掃いても昼くらいには散らかっています。
そんな今日この頃、近くのお寺のお坊さん(Aさんとしておきます)が来られたので話をしていました。
お坊さん同士の会話
A:毎日きれいに掃いてお疲れ様やなあ。ウチも葉っぱいっぱいでたまらんよ。
私:この時期は仕方ないですね。お互い大変ですよね。
A:ほんまやなあ。境内広いのも辛いよね。いつも思うんやけど俺らは損してるよなあ。こんなんする時間があったら他の事ができるのに。木の無い寺がうらやましい。
私:ちなみに掃除しなくてよかったら何するんですか?
A:・・・昼寝かな(笑)
掃除は確かに大変
Aさんがダメそうなお坊さんに見えたかもしれませんが、結構真面目にお坊さんをされている方です。よく勉強もされています。
でもそんな人だから、掃除している時間がもったいないと思ってしまうのかな。
私もこの時期は毎朝できるだけ庭を掃いています。短い日で30分。長ければ1時間。それでもざっとしか掃けません。まだ暑いので汗をかきかきになります。
でも実は気持ちが良い
掃除は良いモンです
Aさんは嫌がってますが、良いモンです。毎日したくなります(本当ですよ)。クセになります!
想像して下さい。
あー、今日も散らかってるなー、と思いながら掃除を始めます。一か所なら10分くらいかかります。ふと見てみると、目の前はすっかりきれいになっています。
「わあ!きれい!」自画自賛ですが、達成感があります。
しかも、掃除している時に人が通れば、「いつもきれいにしてくれてる。えらいねえ。」と褒められます。大人になって褒められることってあまりないですよね?嬉しくなっちゃいます。
お参りに来た人が葉っぱを踏み踏み歩かなくてよい、お参りの人も気持ちよい。人の役に立っています。
達成感があり、褒められて、人の為になる。素晴らしいことじゃないでしょうか?
ストレス発散にも!修行にも!
そして、ここからが大切なお話です。
お寺では掃除の事を下座行(げざぎょう)と呼んだりします。掃除だけではなく、洗濯や片付け、つまり雑用全般が下座行と言えます。雑用も、大切な修「行」になると言ってるんですね。。ですから嫌々するのは勿体ない。
掃除をするときの心構えは
たとえば、落ち葉を掃く時なんかは、落ち葉=自分の心の迷い、ストレス、欲などに見立てて掃いていきます。つまり境内をきれいにするんじゃなくて、自分の心を清めているつもりで掃きます。嫌なことがあった時も、心から嫌なことを追い出すつもりで掃くのです。掃き掃除じゃなくても応用できます。やってみると想像以上に気持ちが変わるのが分かりますよ。ぜひ試して下さい。
甲子園常連校のトレーニングの話ですが、「おしっこをする時、自分の中の不安や迷いを放出するイメージでしなさい」と言ってるのをテレビで見ました。やはりストレスの軽減につながるそうです。
毎日している人はえらい!
褒められなくても
本文と少しずれますが、私は評価はされなくても、必要な事を繰り返し、毎日している人こそが素晴らしいと思います。
ノーベル賞の山中教授やテニスの大阪なおみ選手、ゾゾタウンの前澤元社長なんかは社会的にすごく評価されます。業績が目立ちますから。
でも毎日掃除して洗濯してご飯作っても褒めてくれない。きっちり経理事務をこなしている人もゴミの回収している人も表彰されたりしません。
「私なんて必要ないのかなあ?」と不安に思っている人も多いと思います。
あなたも素晴らしい
そんなことは勿論ありません。
「ご飯作るのなんて当たり前」「ゴミを回収するのなんて仕事なんだかふつうじゃない?」そうなんです。当たり前でふつうなことで世界はできています。
でも、ふつうの事をしてくれている人がいるから、世の中が成り立っています。お母さんがご飯作ってくれないと困りますよね。気分が乗らなくても作ってくれます。
ふつうな事はありがたいのです。そう思って周りを見てください。
周りにはありがたい人だらけです。
自分の事もそんな風に見てください。一体どれだけの人を支えているでしょうか。
あなたは本当に必要な存在なんです。
ご利益倍増!お参りの仕方を知ろう
お寺のお参りは決まった作法とちょっとしたコツがあります。
ポイントを押さえて仏様が喜ぶお参りをしましょう!
一般的なお参りの仕方
- 門の前で手を合わせ一礼してから入る。
- 手水(ちょうず=手を洗う所)で手と口を清める。→軽く洗うと思って下さい。
- 本堂で線香、ろうそく、おさい銭をお供えする。手を合わせ頭を下げ、自分の名前や願い事を思い浮かべるか、小さくつぶやく。できるならお経やご真言を唱える。お守りや、おみくじはお参りした後で頂く。
- 他のお堂にもお参りをする。(しなくても良い)
- 門から出て手を合わせ一礼して帰る。
線香やろうそくは持って行ってもお寺の備え付けでも構いません。むつかしくはありませんが、いくつか気を付ける事を挙げていきます。
仏様のことを忘れないで!
一番大切なことは「お参りに行く=仏様に挨拶に行く」ということです。これを知っているかどうかでずいぶんお参りの質が変わります。たとえお堂の前で手を合わせている時でも、仏様は目の前におられると思ってください。いや、目には見えないけど居るのです。そして私たちを見つめているのです。その前で仏様にご挨拶&お願いをしているのです。
そう考えるとどうでしょうか?仏様ってとてもえらい方なんです(笑)服装なんかも気になってきませんか?勤め先の社長よりも、お世話になった先生よりもえらい方に会いに行く気持ちでいてください。
具体的なやり方
まず服装は?
天皇陛下より偉い方に会いに行きますので、礼服でお願いします!とは言いませんがある程度清潔できちんとした格好を心がけましょう。あまり派手すぎるのも場所柄さけた方が良いです。
門の前では
お寺に入るという事は仏様の家に入るという事です。左右に筋肉むきむきのお仁王さんがいるお寺もありますがこれはガードマンさんですね。
一礼する時は、もし帽子をかぶっていれば、帽子を外して一礼して入ってください。
心の中で「おじゃまします」といったかんじでしょうか。
手と口を洗う
洗うと書いてますが、実際は「清める」です。ですからきれいにじゃぶじゃぶ洗う必要はありません。左右の手を水ですすぎ、左手のひらに水を入れて口に含み吐き出します。ひしゃくから直接はNGですし、うがいをしてはいけません。
本堂では
いよいよご本尊様の御前です。御宝前(ごほうぜん)なんて言ったりもします。
おさい銭
初詣では人出も多くてなかなかさい銭箱の近くまで行けなくて投げてたりしますが、これもNGです。仏様へのお供えの意味もありますのでそっと入れてください。
手を合わせる
手を合わせるのに間違いなんてあるの?って思うかもしれませんがコツはあります。
まず、場所!じゃらじゃらっと鈴を鳴らしたらその場で手を合わせそうですが、次の人のために少しずれて手を合わせましょう。他の人の事を考える謙虚さが大切なんです。
次に速さ!手を合わせてペコリ。見ていると2秒ぐらいの方も見かけます。ゆっくり頭を下げているとありがたそうに見えます。できれば頭の中でも、つぶやいても良いですが、ご自分の住所や名前を仏様に伝えましょう。
願い事
これが一番大切な事かもしれません。仏様のお気持ちになってみましょう。毎日毎日、色んな人がお願い事をしていきます。やれ「素敵な彼氏が欲しい」だとかやれ「良い仕事につけますように」「成績があがりますように」とかはては「宝くじがあたりますように」。うんざりされるのではないでしょうか。
そこで一番良いのはお願いしない事なんです。変に思うかもしれませんが、これが一番ご利益があります。謙虚な気持ちに勝るものはありません。
具体的には、「いつも見守って下さり、ありがとうございます。おかげさまで元気に暮らしております。これからもよろしくお願いします。」ぐらいのかんじです。近況報告をしても良いですね。
でもお願いもやっぱりしたい!そんな場合はこんなふうに付け加えてください。
「今日からお菓子を少し減らして、やせます!周りの人にも親切にできるように頑張ります。ですから素敵な彼氏に出会えるようにお力をお貸しください」
「毎日漢字のプリントと計算のプリントを一枚づつ必ずします。だから成績があがりますように!」
仏様は頑張っている人を見ると応援してくれます。願いが叶ったらお礼に行くのも忘れないようにしましょう。感謝と努力!心構えを変えるとずいぶん仏様が助けてくださいます。
門から出ていく
入る時と同じように門の外に出て一礼します。心の中では「ありがとうございました」
心構えが大切
いかがだったでしょうか?まだまだ細かな事はありますが、大切なのはやはり気持ちなんです。仏様という素晴らしい存在に会いに行く。失礼はいけません。おりこうさんにしていると、仏様のお眼鏡にかないご利益を頂けるというわけです。
ここで注意ポイントが一つ。ご利益を目当てにしてはいけないという、正反対の事実です。ありがとうと感謝を伝えに行くのをメインにして下さい。すると勝手にご利益がついてくるシステムになっています。仏様は謙虚な人が好きなんですね!
できれば年1回じゃなくてちょくちょく行って下さい。顔見知りの方が手心も加えてくれます。
良いお参りができますよう、お祈り申し上げます。
合掌