りゅうちょうのつれづれ日記

にちにち日記

童学寺住職の日常をつづっております。

お坊さんになりたかったわけではなく

なるような気がしていた

小学生の時から

私は上板町にある大山寺の次男として生まれました。当然、後継ぎは兄だと私も周囲も思っていました。だから、お坊さんになる予定はありませんでした。

ところが、何故でしょうか。説明はできませんがお寺に入るような気がしていました。

お寺に入りたかったわけではありません。祖父や父に言われたわけでもありません。でもお寺で一生居るような気がしていたのです。

友達にも「地元の大学に行った後、お寺にいるんじゃないかなあ?」と小学生の頃から言っていました。

反対に、心の中では普通に会社に勤める人になりたいと思っていました。ですので卒業文集の将来の夢は「サラリーマン」です。夢はかないませんでした。

進路が決まった

その後、地元の大学に入って2年生の頃でした。お正月に親戚のおじさんが酔っぱらいながら「龍澄、お寺継ぐか?」と聞いてきたので「いいよ。」と何も考えず答えて進路が決まりました。驚くほど簡単です。

ところでよく「高野山大学行かんでいいの?」と聞かれますが、行かなくても構いません。

中学校を出てすぐでも、何年か働いた後でも、修行に行けば大丈夫です。高野山大学に行くと密教の授業とかありますので、専門的な勉強をできるのがメリット。高野山大学高野山の山の中にあるので、娯楽が極端に少ないのがデメリットです。遊びに行くにも山を下りるのが一苦労だそうです。

私の場合は大学卒業後、京都の方に修行に行きました。

導かれて生きている

大なり小なり

誰でも経験があると思います。自分の意思とはあまり関係なく自分の運命が決まっていく事や、どうしようかなあと迷っている時に、人に言われたことが妙にしっくりしたと思えて決めた!なんてことです。

流されたのではありません。仏様に導かれてるんだろうと思っています。

お坊さんなので、仏様という呼び方にしますが、神様でもアラーでもイメージしやすいもので想像してください。「内なる声」なんかも同じでしょう。

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これは神様

「こうしなさい!」と言われるのではなく、仏様のおすすめの道を目の前に示してくれている感じです。もちろん拒否もできます。どんな道を選ぶのも自由なんです。

私のパターン

強く心に刻まれる

これは上に書いたように、「将来はこんなかんじ」と深層心理にしみ込んでいます。

ふつうに就職も選べましたが、そちらを選んだらどうなっていたでしょう?

やたら誘われる

同じ時期にやたら同じことを多方面から誘われたりします。私はだいたいのっかるのですが、珍しく断って後悔しているのに「ゴルフ」があります。色んな人に誘われて、教えてあげるからとか、連れて行ってあげるとか、もうやめたからセットであげると言ってくれているのに、忙しいのを理由にしませんでした。

しっくりきた!

なんだか言われて、納得して、その気になることもありますよね。

書道を習いに行くのを決めた時がそうでした。誰に習えば良いのかまよっていて、「〇〇先生が良いよ」「有名な方を紹介しようか?」色んな人が言ってくれるのですが、決めれません。ところが訪ねて行った先で、書道道具が置いてあり書道の話になりました。「一緒に習わんで?」と誘ってもらって行き始めたのが、今習っている先生です。

ピンっと来たんですよねえ。

素直に受けいれる

運命と言うと大げさすぎます。

いつも目の前に「こうしたらどう?」というような、おすすめの選択肢が用意されています。それは出来事であったり、人からの忠告であったりもします。

素直な心で受け止めると、仏様が勧めてくれていることに気が付きます。時には、やめなさいと伝えていることもあります。そして、それは必ずと言っていいほど自分の為になります。なんと言っても仏様のおっしゃることです。間違いはありません。